Back to Article
1999 May
 
デザインプレックス
 No.25掲載記事より
      文・岩吉 隆悠

「ウゴウゴルーガ」で一躍日本で認知

僕は、数多くの人にロドニーの作品を観てもらうためにテレビもひとつのメディアとして興味を持っていた。そんなロドニーのテイストになじむ番組を探しているところに『ウゴウゴルーガ』が始まった。僕自身『ウゴウゴルーガ』が好きで、きっとロドニーも気に入ってくれると思ったのでビデオを送った。すると、「こんなクレイジーな番組はない。面白すぎる」というコメントが返ってきたので、早速、それまでまったく面識のなかった番組のプロデューサー桜井郁子さんと福原伸治さんに会いに行くことにした。その頃日本ではまだ無名であったロドニーの実力と才能を評価してもらい、番組の30秒のセグメントに抜擢してもらった。ロドニーによるオリジナルストーリーの書き下ろしの作業であったにも関わらず、オンエアの1週間前にデータを納品するという待ったなしの綱渡り的な仕事。94年の春には番組自体が終了になってしまったので、『Rodney Guy』のストーリーは半年だけのオンエアになったが、その間、データ納品が遅れることなくロドニーは毎週『Rodney Guy』のオリジナルストーリー1週間分を制作し続けてくれた。その当時、まだインターネットは普及しておらず、ロドニーと僕は少しでも効率よく仕事をするために当時いちばん速いモデムをお互いに購入し(ちなみに9,600bps)、お互いのMacを国際電話で直接接続するという、今では笑ってしまうような原始的な方法でデータのやり取りをしていた。やり取りしていた画像はFreehand形式のベクトルデータだったのが救いで、これをフジテレビ側の外部スタッフの人がアニメーション、というかパラパラマ漫画っぽく仕上げてくれた。ロドニーの方で完璧なアニメーションを作ることもできたのだが、オリジナルストーリーということもあって、スケジュール的にそこまでやるのは無理という判断だった。しかし、パラパラ漫画のテイストがかえって、番組のイメージに合った良い結果に至ったと思う。息のつく暇もないプロジェクトであったが、ロドニーが来日した際に、生放送の『ウゴウゴルーガ2』に本人が出演したことがきっかけとなり、岩井俊雄さんに会い、その後二人は親交を深めることになった。

 

ロドニーとの出会い
この感動をみんなに
アートと音楽の狭間で揺れる
一人でコツコツ創るのが好き
「ウゴウゴルーガ」で一躍日本で認知
「商品化」されてもなお魅力溢れる作品